インスマウスの影 第1章

インスマウスの影
インスマウスの影

H・P・ラヴクラフト,インスマウスの影,ウィアード・テイルズ,1941年

言語に絶する怪異が、朽ち果て悪臭に呪われたインスマウスの町にのしかかっていた……そこでは人々が、いつの間にか「死ぬ」という観念を失ってしまっていたのだ……。

1927年から28年の冬にかけて、連邦政府の役人たちが、マサチューセッツ州の古い港町インスマウスにおけるある状況について、奇妙で極秘の調査を行った。世間がこの事件を初めて知ったのは2月のことで、大規模な一斉摘発と逮捕が行われ、その後、放棄された海岸沿いに並ぶ無数の朽ちた虫食いの家々が、万全の注意のもとに焼かれ、爆破された。無関心な人々は、この出来事を禁酒法時代の断続的な取締りの一環と見なして済ませた。

しかし、目ざとい新聞読者たちは、逮捕者の異様な多さ、動員された人員の異常な規模、そして囚人の処遇に関する情報の完全な秘密性に疑問を抱いた。裁判も、具体的な起訴内容も報道されず、逮捕された者たちが後に国内の通常の刑務所で目撃されることもなかった。病気や収容所に関するあいまいな声明があり、その後は海軍や陸軍の各所に分散されたという話も流れたが、確かな情報は何も得られなかった。

リベラル系団体からの抗議に対しては、機密性の高い説明と、いくつかの収容所や刑務所への視察によって対応がなされた。その結果、これらの団体は驚くほど静かになり、沈黙を保った。新聞記者の扱いはより困難だったが、最終的には大方が政府に協力する姿勢を見せた。唯一、常軌を逸した論調で知られるタブロイド紙が、「悪魔の暗礁」沖の海淵に向けて魚雷を撃ち込んだという深海潜水艦の噂を報じたが、それは船乗りの酒場で偶然耳にした話であり、実際にはかなり荒唐無稽に見えた。なにしろ、その黒く低い暗礁は、インスマウス港からほぼ一マイル半も沖合にあるのだから。

だが、私はいま、この出来事についての沈黙の掟を破る決意をした。すでに結果は徹底されており、公に語ったところで衝撃と嫌悪以外に実害はないと確信している。なにより、私ほどこの事件に密接に関わった素人はいないのだ。そして私は、いまだに心を揺るがす印象をそのとき得たのである。

1927年7月16日の早朝、インスマウスから命からがら逃げ出し、政府に調査と対応を訴えて、件の騒動の発端を作ったのは他ならぬ私である。事件が進行中のあいだは、私も口を閉ざしていたが、もはや古い話となり、世間の関心も薄れた今、私はあの邪悪な噂と陰惨な影に覆われた海辺の死の町での、わずか数時間の恐怖を語りたいという、奇妙な衝動に駆られている。

インスマウスの名を初めて耳にしたのは、そこを初めて――そして今のところ最後に――訪れる前日のことである。私は成人を記念してニューイングランドを巡る旅をしており、それは史跡巡りであり、また家系調査の旅でもあった。古いニューベリーポートから、母方の家系があるアーカムへと向かう予定だった。自家用車はなく、列車や電車、バスを乗り継いで、なるべく安価に旅をしていた。ニューベリーポートでは、アーカムへ行くには蒸気機関車が良いと聞かされていたが、駅の窓口で運賃の高さに驚いて渋ると、初めて「インスマウス」という名が出てきたのである。窓口にいたのは、ずんぐりして抜け目のない顔をした男で、言葉の端々から地元の人間でないことがうかがえた。彼は私の節約志向に同情的で、他の誰も教えてくれなかった提案をしてくれた。

ニューベリーポートの駅員
ニューベリーポートの駅員

「インスマウス経由のあの古いバスなら、使えんこともないがね」と、彼は少し言いにくそうに言った。「だが、こっちの連中はあまり好かんのさ。運転してるのはインスマウスの男で、名をジョー・サージェントっていう。ニューベリーポートの人間も、アーカムの人間も、ほとんど乗らん。ハモンド薬局の前の広場から、午前10時と午後7時に出る……最近時刻が変わってなけりゃ、だがな。見るからにガタがきてる代物で……わしは一度も乗ったことがないがね」

それが、私が初めて耳にした「影に包まれた」インスマウスであった。地図にも旅行案内にも載っていない町の名など、好奇心をそそられて当然であったし、窓口係の曖昧な言い回しが、私の興味を一層かき立てた。そこで、彼にその町について詳しく話してほしいと頼んだ。

男は慎重に、そして自分の話す内容に少しばかり距離を置くような調子で語り始めた。

「インスマウス? あそこはな、マナクセット川の河口にある変わった町さ。昔はほとんど都市だったんだよ――1812年戦争の前にはなかなかの港町でな――だが、ここ百年ほどですっかり荒れちまった。鉄道も通ってない――B&M(ボストン&メイン鉄道)も通らなかったし、ローリーからの支線もとっくに廃線だ。

今じゃ人より空き家の方が多いんじゃないかってぐらいで、商売といえば漁業とロブスター漁くらいなもんさ。物はほとんどこの町かアーカムかイプスウィッチで買うのが普通だ。昔は工場も結構あったが、今じゃ金の精錬所が細々やってるだけだよ。

あの精錬所は、かつては大したものだったんだがな。今の持ち主はマーシュのじいさんで、金持ちぶりときたらクロイソス(訳注:古代リュディア王国[現在のトルコ西部]の王で「非常に裕福な人物」の象徴)も真っ青ってやつさ。変わった爺さんでな、家に引きこもりきりだ。晩年になって皮膚病か何かの奇形を患って、顔を出さなくなったって話だよ。創業者のオーベッド・マーシュ船長の孫にあたる。そいつの母親がどこかの外国人――南洋の島の出身らしい――ってんで、五十年前にイプスウィッチの娘と結婚したときには、大騒ぎになったもんさ。インスマウスの連中には、何かあるたびにそうなるんだよ。それでこっちじゃ、自分にインスマウスの血が混じってるなんて、みんな隠そうとするんだ。だが、マーシュの子供や孫は、俺が見る限り普通の人間にしか見えないな。ここでも何人か指さして教えてもらったことがある――もっとも、最近じゃ上の方の子供たちは見かけなくなったがな。じいさんの方は、見たこともない。

それで、なんでみんなインスマウスを嫌ってるのかって? あんたも、ここの人間の言うことを真に受けすぎないほうがいい。あいつら、なかなか口を開かないが、一度話し始めたら止まらんのさ。インスマウスについての話は、もう百年くらい前から、こっそり囁かれ続けてる。要するに、連中は怖がってるんだよ。中には笑っちまうような話もあるぜ――オーベッド船長が悪魔と取引して、地獄から小鬼を連れてきてインスマウスに住まわせたとか、埠頭の近くにあるどこかで悪魔崇拝や恐ろしい生贄の儀式が行われていたとか、1845年頃に誰かがその現場を目撃したって話とか――だが俺はバーモント州パントンの出身でな、そういう話は信じないたちなんだ。

でもな、沖合にある黒い岩礁――「悪魔の暗礁」と呼ばれてるやつ――について、年寄りたちが語る話は一度聞いてみるといい。あの礁は、たいていは海面に顔を出してて、沈んでる時期もそんなにないが、それでも島とは呼べない代物さ。話によれば、あの岩礁には悪魔どもが群れていて、岩の上でのさばっていたり、頂上付近の洞窟に出入りしていたりするそうだ。ゴツゴツしてでこぼこな岩で、港から一マイル以上離れている。船乗りたちは、昔の航海時代の終わり頃には、あそこを避けて大回りするようになったもんさ。

ただし、インスマウスの出の船乗りは別だ。オーベッド船長が嫌われた理由の一つが、夜の潮時を見計らって、あの岩礁に上陸していたらしいって話だ。まあ、岩の形が珍しくて上陸しただけかもしれんし、海賊の財宝でも探してたのかもしれんがな。でも、あそこで悪魔と取引してたって噂もあった。実際、あの岩礁の悪評の元凶は、たぶん船長自身なんだろう。

それからが1846年の大疫病さ。町の住人の半分以上が死んじまった。何が原因だったのか、はっきりとは分からなかったが、中国かどこかの外地から、船に乗って持ち込まれた奇病だったんじゃないかって話だ。とにかくひどいもんで、暴動も起きたし、町の中だけで片づけられたような恐ろしい出来事もいろいろあったらしい。町は壊滅状態になって、以後立ち直れなかった。今じゃ住んでるのは三百か四百人程度じゃないかな。

でもな、人々がインスマウスを毛嫌いする本当の理由は――人種的な偏見だよ。そして、俺はそういう気持ちを責めようとは思わない。俺自身、あの連中は嫌いだし、あの町にも行きたくない。あんたも分かってると思うが――いや、しゃべり方からすると西部の人間みたいだが――昔のニューイングランドの船が、アフリカやアジア、南洋の変な港とやり取りして、変わった人種を連れて帰ってきたって話は聞いたことあるだろ。セイラムの男が中国人の妻を連れて帰ったって話とか、ケープコッドあたりにはフィジー人の末裔が今でもいるって話とかさ。

たぶん、インスマウスの連中も、そういう連中の末裔なんだろう。あの町は沼地や小川に囲まれて、外界から孤立してたし、詳しいことは分からんが、オーベッド船長が全盛期の1820年代、30年代に、三隻の船を持って世界中を回っていた頃に、変わった連中を連れて帰ってきたのは間違いない。今のインスマウスの住人には、妙な血が混じってるのは確かだ――言葉にしにくいが、なんともぞっとするんだよ。もしあんたがバスに乗るなら、サージェントにも少しその気配があるのが分かるだろう。奴らの中には、頭が妙に細長くて、鼻が平たく、ぎょろりとした目をしていて、まばたきもしないような連中がいる。肌もどこかおかしい。ざらついてて、かさかさで、首の脇がしわくちゃだったりしてな。若いうちから禿げるし、年寄りになるとさらにひどい顔になる――というか、俺はそんな連中の老人を見たことがないな。きっと鏡を見て死んじまうんだろうよ! 動物にも嫌われるしな――昔は馬が暴れて手が付けられなかったらしいが、今は自動車だからな。

あの連中のことをきちんと把握してる者なんていないよ。州の学校役人や国勢調査官なんか、苦労してるらしいぜ。よそ者がインスマウスに首を突っ込むなんて、あいつらは絶対に歓迎しない。実際、商売人や政府の人間が何人も行方不明になったって話も聞いたし、そのうちの一人は正気を失って、今じゃダンヴァースの施設にいるって噂もある。相当な恐怖体験を仕組まれたんだろうな。

だから、あんたも夜には行かない方がいい。俺はあの町に行ったことはないし、行きたいとも思わんが、昼間ならまあ大丈夫だろう――もっとも、この辺りの連中は誰も行くなって言うだろうけどな。あんたがただの観光客で、古い町並みや歴史が見たいってんなら、インスマウスはなかなかの見ものだと思うぜ」

こうして私は、その晩の一部をニューベリーポート公共図書館で過ごし、インスマウスに関する資料を調べた。書架に並ぶエセックス郡の歴史書には、ほとんど情報が載っていなかったが、それでも町が1643年に創設されたこと、独立戦争以前には造船で知られていたこと、19世紀初頭には海運によって大いに栄え、のちにはマナクセット川の水力を利用した小規模な工場地帯となったことなどが記されていた。1846年の疫病と暴動については、まるで国家の恥部であるかのように、きわめて簡潔にしか触れられていなかった。

衰退についての記述も乏しかったが、後年の記録からは明白な意味が読み取れた。南北戦争以降、町の産業活動はマーシュ精錬会社に集約され、金塊の流通が永続的な漁業を除けば唯一の主要な商業活動として残された。

なかでも特に興味深かったのは、インスマウスと何らかの関係があるらしい奇妙な装飾品についてのわずかな記述であった。その装飾品は、この地域全体に少なからぬ印象を与えたようで、アーカムのミスカトニック大学の博物館や、ニューベリーポート歴史協会の展示室にも所蔵されていると記されていた。私は、もし可能であれば、その地元の展示品――大きくて奇妙な比率の、明らかにティアラを意図して作られたと思われる物――をぜひとも見てみたいと決意した。

図書館員は、協会の学芸員で近所に住むアナ・ティルトン女史への紹介状を書いてくれた。軽い説明の後、その由緒ある年配の婦人は、時間がさほど遅くなかったこともあり、閉館後の建物へ私を案内してくれた。展示品の数々は確かに見事なものだったが、そのときの私は、電灯のもとで飾り棚の隅にきらめいていたあの異様な物体以外には目もくれなかった。

それを見ると、芸術に対して特段敏感でなくとも、思わず息を呑まずにはいられなかった。異界的で贅沢な幻想が、紫のビロードの上に鎮座していたのだ。見れば見るほど、私はそれに魅了された。そしてその魅了には、言葉では言い表せない、不安を掻き立てる奇妙な要素が混じっていた。その原因は、どうやらこの工芸品が発する「他の世界」の気配にあるようだった。まるで別の惑星で作られたかのような印象を受けたのである。

異形のティアラ
異形のティアラ

その模様には、時空の彼方にある秘密や、想像もつかない深淵への暗示が込められており、単調に水生的な意匠の浮き彫りは、ほとんど邪悪ささえ感じさせた。その中には、想像を絶するほど不気味で悪意に満ちた怪物たちの姿があり、それはまったく原初的で、古代の恐怖そのものであった。

私はふと、この冒涜的な魚や蛙のような生き物たちの輪郭一つひとつに、未知にして非人間的な邪悪の精髄があふれているような気さえした。

このティアラの異様な姿に対して、ティルトン女史が語ったそのあまりにも平凡な由来は、強烈な対照をなしていた。その品は、1873年、州通りの質屋で、酔ったインスマウスの男がごく僅かな金額で質入れしたものであり、その男はまもなく乱闘で命を落としたのだという。

ティルトン女史は、これはオーベッド・マーシュ船長が発見した何らかの異国の海賊財宝の一部に違いないと考えていた。この見方は、その後、マーシュ家の者たちがこの品の存在を知るやいなや、買い取りを申し出てきたこと――そしてそれが現在に至るまで続いていること――によって、ますます信憑性を増していた。協会側は、どんな高額の申し出があっても一貫して売却を拒んでいる。

ティルトン女史は私を建物の外まで見送る際、悪魔崇拝の噂についても言及した。それには一定の根拠があるという。かの地では、かつて正統的な教会をすべて飲み込んでしまった、ある奇怪な秘密教団が力を持ったのだ。

彼女の話では、それは「ダゴン秘密教団」と呼ばれており、明らかに東方から持ち込まれた堕落した半異教的な宗教で、一世紀ほど前――インスマウスの漁場が枯渇しかけていた頃――に登場したのだという。その後、漁獲が突如として、かつ恒久的に豊かに戻ったことで、単純な住人たちにとっては当然のように受け入れられ、やがて町の支配的な力となった。

信心深いティルトン女史にとっては、そうしたすべてが、あの古びて荒廃した町を避ける十分な理由であったが、私にとってはむしろ新たな動機となった。その夜、私はYMCA(訳注:キリスト教青年会)の狭い部屋で、なかなか寝つくことができなかった。

補足

地名

文中に登場するローリーやイプスウィッチはマサチューセッツ州にある実在の町であるが、アーカムやインスマウスは架空の町である。

これはラヴクラフトがよく用いる手法の一つで、リアリティを高めるために架空の町と実在の地名を混ぜて使われている。

アメリカの地名に馴染みのない読者は注意深く読む必要がある。

間違ってもアーカムやインスマウスがどこかアメリカ人に訪ねる暴挙は避けて欲しい。

YMCA

キリスト教青年会のこと。

19世紀後半から20世紀にかけて、アメリカ(およびイギリスなど英語圏)では、「YMCA」は都市部や地方都市に宿泊施設やスポーツ施設、読書室などを提供していた。旅行者や学生、特に若い男性にとっては、安価で清潔な宿泊場所として利用されることが多かった。

翻訳・編集

この翻訳および編集はすべてLV73によるものであり、著作権はLV73に帰属します。

また掲載されている画像はすべてLV73が独自に制作・用意したものであり、原作とは一切関係ありません。

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