不思議の国のアリス 第2章 涙の池

ルイス・キャロル,不思議の国のアリス,1985年
訳
「ますますふしぎになってきたわ!」とアリスは叫んだ(あまりの驚きに、正しい英語の話し方をすっかり忘れてしまっていた)。「今度は世界一大きな望遠鏡みたいに伸びていってるのよ! さようなら、足さんたち!」(というのも、足がどんどん遠くなって、ほとんど見えなくなっていたのだ。)「ああ、かわいそうな足さんたち、これからは誰が靴や靴下をはかせてくれるのかしら? わたしにはもうとても無理だわ! 遠すぎて、自分の足にまでかまってられないもの。なんとか自分たちでやってちょうだい。でも、やっぱり優しくしてあげないとね」とアリスは思った。「もしかしたら、わたしの行きたい方へ歩いてくれなくなるかもしれないし。そうだ、毎年クリスマスには新しいブーツをプレゼントしてあげよう。」
そして、アリスはその方法についてあれこれ考え始めた。「宅配便で送るしかないわね」と彼女は思った。「自分の足にプレゼントを送るなんて、おかしな話だわ! 送り先の住所も変なものになるわね。
アリスの右足 様
暖炉前の敷物の上にて
暖炉の柵のそばより
(アリスより愛をこめて)
――ああ、なんてナンセンスなのかしら、わたし!」
ちょうどそのとき、彼女の頭がホールの天井にぶつかった。実際、彼女の背はすでに九フィート(訳注:約二・七メートル)以上になっていたのだ。アリスはすぐに金色の小さな鍵を手に取って、庭のドアへ急いだ。
かわいそうなアリス!横になって、やっと片目で庭をのぞき込むのがやっとだったが、通り抜けることなんて前よりずっと無理だった。アリスは地面に座り込み、またしても泣き出してしまった。

「こんな大きな女の子が、こんなふうに泣くなんて、恥ずかしくないの?」とアリスは自分に言った(たしかにそう言って当然だった)「今すぐやめなさいって言ってるのよ!」だが、それでも泣くのはやめられなかった。バケツ何杯分もの涙を流しつづけたせいで、ホールの半分くらいに広がる、深さ四インチほどの大きな涙の池ができてしまった。
しばらくすると、遠くで小さな足音がパタパタと聞こえてきたので、アリスはあわてて目をふいて、何がやって来るのか見ようとした。それは白ウサギだった。今度はとても立派な服を着ていて、片手には白い子ヤギ革の手袋を持ち、もう一方の手には大きな扇子を持っていた。ウサギはとても急いでいて、「ああ、公爵夫人、公爵夫人! 待たせてたら、すごく怒るだろうな!」とぶつぶつ言いながら駆けてきた。アリスはもう誰でもいいから助けてほしい気持ちだったので、ウサギが近づいてきたとき、おそるおそる低い声で「お願いですけど――」と話しかけた。するとウサギはびっくりして跳び上がり、手袋と扇子を落として、暗がりへと全速力で逃げていってしまった。
アリスは扇子と手袋を拾い上げた。ホールはとても暑かったので、彼女はそれであおぎながら、またしゃべり続けた。「ああ、もう、今日はなんてヘンな日なの! 昨日まではなんともなかったのに。もしかして、夜の間に別の人間に変わっちゃったのかしら? 思い出してみよう……今朝起きたとき、同じ自分だったかしら? ちょっと違った気もするのよね。でも、もし同じじゃなかったとしたら、次の問題は――いったいわたしは誰? それが一番のなぞだわ!」
そうしてアリスは、自分と同じくらいの年齢の子供たちを思い浮かべて、自分がそのうちの誰かと入れ替わってしまったのではないかと考えはじめた。
「アダじゃないことは確かだわ」とアリスは言った。「あの子の髪はくるくるの長い巻き毛だけど、わたしのは全然巻いてないし。それにメーベルでもないと思う。わたし、いろんなこと知ってるもの。でもあの子ったら、ああ、ほんとに何にも知らないんだから! それに、あの子はあの子、わたしはわたし――ああ、もう、なんてこんがらがるのかしら! 昔知ってたことをちゃんと覚えてるか試してみようっと。ええと、四かける五は十二で、四かける六は十三で、四かける七は――ああ、こんな調子じゃ二十にたどりつけそうにないわ! でも九九なんてどうでもいいわ。今度は地理を試してみましょう。ロンドンはパリの首都で、パリはローマの首都で、ローマは――だめだ、絶対に違う! きっとメーベルになっちゃったのよ! それじゃあ『小さな――』って詩を言ってみよう」と、アリスは膝の上で手を組み、お行儀よく暗唱するみたいにして口にしはじめたが、声はしゃがれておかしな感じで、言葉もいつものようには出てこなかった――
小さなワニは
しっぽをきらきら磨いて、
ナイルの水を注ぎかける
金色のうろこに!
なんて楽しそうな笑顔!
ひろげたツメはきちんとして、
かわいいおさかなを
にこにこしながらお出迎え!
「これ、ぜったい間違ってるわ」とアリスは言った。そしてまた涙が目にあふれながら続けた。「やっぱりわたし、メーベルなのかも。あのちっちゃくて狭苦しいおうちに住んで、おもちゃはほとんどなくて、お勉強ばっかりしなくちゃいけないのね! でももう決めたわ。もしわたしがメーベルなら、ここにずっといることにする! きっと上から『戻っておいでよ、アリス!』って呼びかけられても、わたしは見上げてこう言うの――『じゃあ、わたしって誰なの? まずそれを教えて。その人になってもいいと思ったら上に行くわ。気に入らなかったら、誰か別の人になるまでここにいる!』――でも、ああ!」とアリスは急にわっと泣きだした。「誰か、本当に上から顔を出して呼んでくれたらいいのに! ひとりぼっちって、ほんとうにいや!」
こう言いながらアリスは自分の手を見下ろし、気づいてびっくりした。いつの間にか、ウサギの小さな白い子ヤギ革の手袋を片手にはめていたのだ。「どうしてこんなことに?」とアリスは思った。「また小さくなってるのかも」彼女は立ち上がって、テーブルと背丈を比べてみた。見たところ、今の自分はおよそ二フィートくらいで、どんどん小さくなっているようだった。原因は手に持っていた扇子だとすぐにわかり、あわててそれを手放した。ちょうど間に合って、完全に消えてしまうのを避けることができた。
「危ないところだった!」とアリスは言った。急な変化におびえはしたが、まだちゃんと存在していることにとてもほっとした。「それじゃあ、いよいよお庭へ行かなくちゃ!」と、アリスは全速力で小さなドアのところへ駆け戻った。だが、ああ! ドアはまた閉まっていて、金色の小さな鍵は例のガラステーブルの上にあった。「前よりも悪くなってるわ」とかわいそうなアリスは思った。「今まででいちばん小さいし、ほんとにひどいわ!」
そう言ったそのとき、彼女の足が滑り、次の瞬間――ざぶん! と塩水の中に落ちて、あごのあたりまで水に浸かっていた。最初に思ったのは、どこかで海に落ちたのだろうということだった。「そうなら鉄道で帰れるわ」とアリスは考えた。(アリスは一度だけ海辺に行ったことがあり、イギリスの海岸ならどこに行っても、海に入っている移動式の海水浴小屋や、木のスコップで砂を掘る子どもたち、それに並んだ貸家、そしてその後ろには駅がある、というのが当たり前だと思っていた。)
けれどすぐに気づいた。自分がいるのは、九フィートの背丈だったときに流した涙でできた「涙の池」だったのだ。
「あんなに泣かなきゃよかった!」とアリスは言った。泳ぎながら出口を探しているところだった。「こんなに泣いたせいで、今度は自分の涙におぼれて罰を受けるんだわ! そんなの変すぎるわよね! でも今日は何もかもが変なんだから、あり得る話だわ。」
ちょうどそのとき、少し離れたところで水音がして、アリスは何かが泳いでいるのを見つけ、近づいて確かめようとした。最初はセイウチかカバかと思ったが、今の自分がとても小さいことを思い出し、すぐにそれが自分と同じように水に落ちたネズミだとわかった。
「このネズミに話しかけても、意味あるかしら?」とアリスは思った。「でも、ここでは何もかもが普通じゃないんだから、しゃべれるって可能性もあるわよね。とにかく、やってみて損はないわ」そこでアリスは話しかけた。「おお、ネズミさん、この池から出る道を知ってる? わたし、泳ぎ疲れちゃって……おお、ネズミさん!」(ネズミに話しかけるにはこう言うのが正しいと思ったのだ。実際、そんなことをしたのは初めてだったが、兄のラテン文法書に “ネズミ――ネズミの――ネズミへ――ネズミを――おお、ネズミよ!” というのを見た覚えがあったからだ。)ネズミは少し不思議そうにアリスを見て、小さな目を片方ウィンクしたように思えたが、何も言わなかった。
「もしかして英語がわからないのかも」とアリスは思った。「ウィリアム征服王と一緒にフランスから来たネズミなのかしら」
(アリスは歴史の知識はあったが、いつ何が起こったかの時代感覚はまるでなかった。)そこで彼女はフランス語の教科書で最初に習った文を口にした。「ウ・エ・マ・シャット?」(わたしの猫はどこ?)するとネズミは水から飛び跳ね、全身をぶるぶる震わせた。「ああ、ごめんなさい!」とアリスはあわてて言った。ネズミの気分を害したかと思ったのだ。「猫が苦手なこと、すっかり忘れてたの!」
「猫が嫌いだと?!」とネズミは鋭く激しい声で叫んだ。「君が僕の立場だったら、猫が好きになれると思うのかい?」

「うーん、たぶん……ならないかも」とアリスはなだめるように言った。「怒らないでね。でも、ダイナを見せてあげられたら、きっと猫のこと好きになれると思うの。ほんとに可愛くておとなしい子なのよ」とアリスは池の中をのんびり泳ぎながら半ば独り言のように続けた。「暖炉のそばで気持ちよさそうにゴロゴロ言いながら、おててをなめて顔を洗ってるの。抱っこしてもふわふわで気持ちよくて――それにネズミを捕まえるのがとっても上手なの――あっ、ごめんなさい!」とアリスはまた叫んだ。今度はネズミの毛が逆立っていて、本気で怒っているのがわかったのだ。「もう彼女の話はやめるわ、あなたが嫌なら!」
「わたしたち!?」とネズミは叫んだ。しっぽの先まで震えている。「そんな話題をするなんてあり得ない! うちの一族は猫なんて大嫌いだ! あんな下品で卑しくて、いやな生き物、もう名前も聞きたくない!」
「わかったわ、絶対に言わない!」とアリスは話題を変えようとあわてて言った。「それじゃあ……犬は――好き?」ネズミは何も答えなかったので、アリスは勢いに任せて話し続けた。「家の近くにとってもかわいい犬がいるの! 目がきらきらしてて、長くてくるくるの茶色の毛があって、投げたものを取ってきてくれるし、おねだりしておすわりもできるの! まだ全部思い出せないくらいたくさん芸ができてね、農家の人が飼ってるんだけど、その人が言うには、すごく役に立つから百ポンドの価値があるんだって! その犬はネズミを全部――ああ、だめだわ!」とアリスは悲しげに叫んだ。「また怒らせちゃったみたい!」
というのも、ネズミは全力でアリスから遠ざかって泳いでおり、水面に大きな波を立てていたのだ。
そこでアリスはやさしく呼びかけた。「ネズミさん、お願い、戻ってきて! 猫の話も犬の話もしないから!」
それを聞いたネズミは振り返り、ゆっくりと泳いで戻ってきた。顔は真っ青で(怒りのせいだろうとアリスは思った)、低く震える声でこう言った。「岸に行こう。そうすれば、なぜ僕が猫と犬を憎むのか、その理由を話すよ。」
ちょうどよいタイミングだった。というのも、池は次第にいろんな鳥や動物たちで混みあってきていたのだ。カモにドードー、インコのロリー、ワシのヒナ、それにほかにもふしぎな生き物がたくさんいた。アリスが先頭に立ち、一行はそろって岸へと泳いでいった。
補足
百ポンド
英国の物価指数などを基にした推計では、1865年の £100 は、2025年の価値でおおまかに£13,000~£15,000(=約260万円〜300万円程度)だと考えられる。
当時、庶民にとって100ポンドは1年の生活費に相当するほどの大金である。
つまり「その犬は芸がすごくて、ネズミを全部退治できるくらい優秀」と、アリスは褒めたつもりだったが――話の相手がネズミだったのが問題だった。
ロリー
ヒインコ(緋鸚哥)とも呼ばれ、オーストラリアや東南アジア、南太平洋諸島に生息する色鮮やかな小型のオウムのこと。
鮮やかな羽の色(赤、青、緑など)が特徴で、長い舌で花の蜜や果物の汁をなめる習性があり、鳴き声が高く、非常に社交的。
飼い鳥としても人気がある。
翻訳・編集
この翻訳および編集はすべてLV73によるものであり、著作権はLV73に帰属します。
また掲載されている画像はすべてLV73が独自に制作・用意したものであり、原作とは一切関係ありません。
各章
- 不思議の国のアリス 第1章 うさぎの穴をまっさかさま
- 不思議の国のアリス 第2章 涙の池
- 不思議の国のアリス 第3章 コーカスレースと長いお話
- 不思議の国のアリス 第4章 白ウサギが小さなビルを送り込む
- 不思議の国のアリス 第5章 イモムシの忠告
- 不思議の国のアリス 第6章 ブタとコショウ
- 不思議の国のアリス 第7章 狂気のお茶会
- 不思議の国のアリス 第8章 女王のクロケー場
- 不思議の国のアリス 第9章 まがいウミガメの話
- 不思議の国のアリス 第10章 ロブスターのカドリーユ
- 不思議の国のアリス 第11章 タルトを盗んだのはだれ?
- 不思議の国のアリス 第12章 アリスの証言