不思議の国のアリス 第3章 コーカスレースと長いお話

ルイス・キャロル,不思議の国のアリス,1985年
訳
川岸に集まった一行は、なんとも風変わりな面々だった――羽がぐっしょり濡れてよれよれになった鳥たち、毛がびっしょりで体に貼りついた動物たち、どれもみなびしょぬれで、不機嫌で、不快そうだった。
最初の問題はもちろん、どうやって体を乾かすかということだった。それについて相談が行われ、数分もすると、アリスはまるで昔から彼らと友だちだったかのように、打ち解けて話している自分にまったく違和感を覚えなくなっていた。実際、彼女はロリー(インコ)と長々と口論してしまい、ロリーは最後にはすっかりすねてしまって「ぼくは君より年上だから、当然物知りなんだ」としか言わなくなってしまった。だがアリスは、年齢を教えてくれないかぎりそれは認められないと思ったので、ロリーが年を明かさなかった以上、それ以上言いようがなかった。
やがて、どうやら一行の中で一番の物知りらしいネズミが、「みんな、座って聞くんだ! すぐに乾かしてあげるよ!」と声を上げた。一同はすぐに輪になって座り、ネズミはその真ん中に立った。アリスはネズミから目を離さずにじっと見つめた。早く乾かないと風邪をひいてしまうと心配だったのだ。
「ゴホン!」とネズミはもったいぶった様子で言った。「みんな準備はいいかい? これはぼくの知っている中で一番“乾いた”話だよ。静かにして聞いておくれ!――ローマ教皇の支持を得たウィリアム征服王の大義は、まもなくイングランド人に受け入れられた。彼らは指導者を求めており、近年、簒奪や征服に慣れ親しんでいたのである。マーシア伯のエドウィンとノーサンブリア伯のモーカー――」
「うっ……」とロリーが震えながらうめいた。
「失礼ですが!」とネズミは眉をひそめつつも礼儀正しく言った。「何かおっしゃいましたか?」
「い、いいえ!」とロリーはあわてて答えた。
「何か言ったと思ったんだがね」とネズミは言い、話を続けた。「――エドウィンとモーカーの両伯は彼を支持し、カンタベリーの愛国的な大司教スティガンドさえも、適切であると判断した“found it”――」
「何を見つけたの?」とカモが言った。
「“それ”を、だ」とネズミはややいら立って答えた。「もちろん、“それ”が何かくらいわかるだろう?」
「わたしが何か見つけたときなら、“それ”の意味はわかるわ」とカモは言った。「だいたいカエルかミミズだけど。でも問題は、大司教が何を見つけたかってことでしょ?」
ネズミはこの問いには答えず、急いで話を続けた。「――エドガー・アゼリングと共にウィリアムに会いに行き、王冠を献上するのが適切だと判断した。ウィリアムの態度は当初は穏健だったが、ノルマン人たちの傲慢さが――」ネズミはここでアリスの方を向いて言った。「さて、どうだい、お嬢さん。乾いてきたかい?」
「ぜんぜん、まだびしょぬれよ」とアリスは悲しげな口調で言った。「これじゃ、ちっとも乾かないわ」
「それなら」とドードーが厳かに立ち上がって言った。「この会議を中断し、もっと積極的な乾燥手段を即時採用することを提案する――」
「英語で話して!」とワシのヒナが言った。「そんな長い単語、半分も意味わかんないし、それにあなた自身だって分かってないと思う!」そう言ってワシのヒナは笑いをこらえて頭を下げた。他の鳥たちもくすくすと笑い出した。
「言いたかったのはだな」とドードーはむっとした口調で言った。「われわれを乾かす一番いい方法は“コーカスレース”をすることだということだ」
「コーカスレースってなに?」とアリスが尋ねた。べつに知りたくてたまらなかったわけではないが、ドードーが間を置いたので、誰かが何か言うべきだと思ったのだった。でも、誰も話す気配がなかった。
「それはね」とドードーは言った。「説明する一番いい方法は、やってみせることさ」
(そして――あなたも冬の日にやってみたくなるかもしれないので――ここでドードーがどうやったかをお話ししておこう。)
まずドードーは、円のような形でレースコースを作った(「正確な形はどうでもいい」と本人は言った)――そして参加者全員をコースのあちこちに適当に配置した。「いち、にの、さん、それっ!」といった合図はなく、みんな好きなときに走り出し、好きなときにやめるので、レースがいつ終わるのか判断するのは非常に難しかった。

しかし、30分ほど走って、すっかり乾いたころ、突然ドードーが「レースはおしまい!」と叫び、みんなは息を切らせながらドードーのまわりに集まり、「でも、誰が勝ったの?」と尋ねた。
この問いに答えるには時間がかかり、ドードーは長いこと額に指を当てて考えこんだ(シェイクスピアの肖像画でよく見るあのポーズである)。他の者たちは沈黙のまま答えを待った。ついにドードーはこう言った。「みんなが勝者だ。そして全員に賞品が必要だ」
「でも、賞品を出すのは誰?」と、口々に声が上がった。
「もちろん、彼女だ」とドードーはアリスを指さして言い、一同は一斉に彼女のまわりに押し寄せ、「賞品! 賞品!」とわあわあと叫び始めた。

アリスはどうしてよいか分からず、困り果ててポケットに手を入れ、キャンディの小箱を取り出した(幸いにも塩水は中に入っていなかった)。彼女はそれをみんなに配った。ぴったり一人に一つずつあった。
「でも、彼女自身にも賞品が必要だよ」とネズミが言った。
「当然だ」とドードーは非常にまじめな顔で言った。「ほかに何かポケットに入ってる?」とアリスにたずねた。
「指ぬき(訳注:裁縫をするときに指先を守るための道具)しかないわ」とアリスはがっかりした様子で言った。
「それをこちらに」とドードーが言った。
するとまたみんながアリスのまわりに集まり、ドードーは厳かな口調でその指ぬきを彼女に手渡しながら言った――「この上品な指ぬきを、どうぞお受け取りください」――そしてその短いスピーチが終わると、一同が喝采した。
アリスはこの一連の出来事がばかばかしいと思ったが、みんながあまりに真面目な顔をしていたので、笑うことができなかった。何を言えばいいかも分からなかったので、アリスはただ頭を下げて、できるだけきまじめな顔をして指ぬきを受け取った。
次はキャンディを食べる番だった。これにはかなりの騒ぎと混乱が伴った。大きな鳥たちは「味がしない」と文句を言い、小さな鳥たちは喉につかえて背中をたたかれたりした。それでもようやく終わると、一同はまた輪になって座り、ネズミにもっと話をしてくれと頼んだ。
「あなた、わたしに自分の身の上話をしてくれるって約束したわよね」とアリスは言った。「それに、どうしてあなたが“C”と“D”を嫌いなのかも……」彼女はまた怒らせてしまわないかと心配して、その部分はささやき声で付け加えた。
「それは長くて悲しい話“tale”だよ……」とネズミはアリスの方を向き、ため息をつきながら言った。
「たしかに長いしっぽ“tail”ね」とアリスは言いながら、ネズミのしっぽを不思議そうに見下ろした。「でも、どうしてそれが“悲しい”の?」
ネズミが話している間も、アリスはそのことが気になって仕方なかったので、彼女の頭の中では「物語“tale”」と「しっぽ“tail”」がごっちゃになって、こんなふうに聞こえていた――
フューリーが
ネズミに言った、
家の中で
会ったとき、
「一緒に
裁判に行こうじゃないか。
おまえを
告発してやる――さあ、
言い訳は
通らない、
裁判をやるんだ。
というのも、
今朝は
まったく
ひまなんでな」
ネズミが
意地悪な犬に言った、
「そんな裁判、
ごめんですよ、旦那、
だって
陪審員も
裁判官も
いないなんて、
口を開く
だけ
無駄ですよ」
「オレが
裁判官だ、
オレが
陪審員だ」
と
狡猾な
フューリーはこう言った:
「この
事件全体を
裁いて
おまえに
死刑を
言い渡す!」
「ちゃんと聞いてないじゃないか!」とネズミはアリスに向かって厳しく言った。「何を考えてたんだ?」
「ごめんなさい」とアリスはとても恐縮して言った。「いま、五回目のカーブのところだったかしら?」
「カーブなんかじゃない“It was not a curve!”」とネズミは怒って鋭く叫んだ。
「結び目“knot”)?あ、ほどくの手伝おうか?」とアリスは役に立とうとして、あたりを見回しながら申し出た。
「そんなことするもんか」とネズミは言い捨てて立ち上がり、歩き去った。「そんなばかげた話で侮辱するとはな!」
「そんなつもりじゃなかったのよ!」とアリスは必死に訴えた。「でも、あなたってすぐ怒るから……」
ネズミはうなり声をあげるだけだった。
「お願い、戻ってきて、お話の続きを聞かせて!」とアリスは呼びかけた。すると他の動物たちも口々に「そうよ、ぜひお願い!」と声をそろえたが、ネズミは苛立ったように首を振って、ますます早足で去っていった。
「ああ、あの子、もうちょっと我慢してくれたらよかったのに」とロリーがため息をついた。すると、年取ったカニがこの機会をとらえて娘にこう言った。「これがいい教訓になるよ。かんしゃくを起こしちゃいけないってことね!」
「もう、やめてよママ!」と若いカニが少し怒った口調で言った。「お母さんって、カキの我慢強ささえ試すくらいなんだから!」
「ダイナがここにいたらなあ! きっと戻ってこさせてくれるのに!」とアリスは誰にともなく声に出して言った。
「ダイナって、もしよければお聞きしたいのですが、どなたですの?」とロリーがたずねた。
アリスは目を輝かせて答えた。というのも、自分のペットの話をするのが大好きだったのだ。「ダイナはうちの猫なの。ネズミを捕まえるのがすごく上手なのよ、信じられないくらい! それに、鳥を見つけたら、あっという間に――ほんとにすぐ食べちゃうの!」
この発言は一同に衝撃を与えた。何羽かの鳥たちはすぐにその場を離れ、一羽の年取ったカササギ(訳注:スズメ目カラス科の白と黒の羽色が特徴的な中型の鳥)は「夜の空気はのどに悪くてね」と言いながら、念入りに自分を包みはじめた。そしてカナリアは震える声で子どもたちに呼びかけた。「さあ、おうちへ帰るわよ! もう寝る時間なんだから!」ほかの鳥たちもいろいろな口実をつけて立ち去り、アリスはあっという間にひとりぼっちになってしまった。

「ダイナのことなんて言わなきゃよかった……」とアリスはさびしげに自分に言った。「ここでは誰もあの子のこと好きじゃないみたい。でも、あの子が世界一の猫なのはほんとよ! ああ、ダイナ、わたしもう二度と会えないのかな……」そう言って、またアリスは泣き出してしまった。とても寂しく、心細くなってしまったのだ。
けれどしばらくすると、また遠くからパタパタという足音が聞こえてきた。アリスは顔を上げ、ネズミが気を変えて戻ってきて、話の続きをしてくれるのではと、半ば期待しながらあたりを見回した。
補足
乾いた(dry)話
英語では「乾いた(dry)」という言葉には、「湿っていない」という意味の他に、「退屈な」「感情のこもっていない」という比喩的な意味がある。
つまりロリーが「うっ……」と震えながらうめいたのは、ネズミの話がウィリアム征服王(ノルマン・コンクエスト)に関する中世イングランドの歴史という、退屈で面白みに欠ける歴史の講義のような内容だったから。
“found it”
“found it” は英語でよく使われる構文で、「~だと判断した/思った/感じた」という意味である。
これをカモはそのまま文字通り受け取ってしまい、「何を見つけたの?」と聞いた。
日本語訳では伝わりにくいが、言葉の曖昧さを使ったユーモアである。
“C”と“D”
猫(Cat)と犬(Dog)の頭文字で、ネズミを刺激しないように、アリスが気遣って頭文字だけを伝えた。
「しっぽ(tail)」と「物語(tale)」
アリスが「しっぽ(tail)」と「物語(tale)」という似たような発音を取り違えて聞いてしまった。
そのため「フューリーとネズミの法廷劇」の詩そのものが視覚的に「しっぽの形に見える」ようになっていて、アリスはその「カーブ(曲がり角)」を数えていた。
そのため後にアリスが「いま、五回目の“カーブ”のところだったかしら?」とネズミに聞いてしまい、ねずみを怒らせた。
翻訳・編集
この翻訳および編集はすべてLV73によるものであり、著作権はLV73に帰属します。
また掲載されている画像はすべてLV73が独自に制作・用意したものであり、原作とは一切関係ありません。
各章
- 不思議の国のアリス 第1章 うさぎの穴をまっさかさま
- 不思議の国のアリス 第2章 涙の池
- 不思議の国のアリス 第3章 コーカスレースと長いお話
- 不思議の国のアリス 第4章 白ウサギが小さなビルを送り込む
- 不思議の国のアリス 第5章 イモムシの忠告
- 不思議の国のアリス 第6章 ブタとコショウ
- 不思議の国のアリス 第7章 狂気のお茶会
- 不思議の国のアリス 第8章 女王のクロケー場
- 不思議の国のアリス 第9章 まがいウミガメの話
- 不思議の国のアリス 第10章 ロブスターのカドリーユ
- 不思議の国のアリス 第11章 タルトを盗んだのはだれ?
- 不思議の国のアリス 第12章 アリスの証言