不思議の国のアリス 第4章 白ウサギが小さなビルを送り込む

不思議の国のアリス

ルイス・キャロル,不思議の国のアリス,1985年

それは白ウサギだった。とことこと戻ってきては、何かをなくしたように心配そうにあたりを見回していた。アリスはそれが「公爵夫人! 公爵夫人! ああ、ぼくのかわいい前足! ああ、この毛皮とヒゲ! あの人に処刑されちゃうよ、フェレットがフェレットである限り絶対に! どこで落としたんだろう?」とぶつぶつ言っているのを聞いた。アリスはすぐに、扇子と白い子ヤギ革の手袋を探しているのだと察し、親切心からあたりを探しはじめた。だが何も見つからなかった――水の池で泳いだあとのせいか、まわりの風景はすっかり変わってしまっており、あのガラステーブルも小さなドアも消えていた。

やがて白ウサギはアリスに気づき、怒ったような口調で叫んだ。「あれまあ、メアリ・アン、こんなところで何してるんだい? 今すぐおうちに帰って、手袋と扇子を取ってきておくれ! 早く!」

アリスはびっくりして、説明しようともせず、言われた方向へと慌てて走り出した。

「わたしを家政婦のメアリ・アンと間違えたのね」とアリスは走りながら思った。「正体がばれたら、びっくりするでしょうね! でも、とりあえず扇子と手袋を持って行ったほうがいいわね――見つけられれば、だけど」

そう考えながら、彼女はこぎれいな小さな家の前に出た。ドアには「白ウサギ」という名前の刻まれた真ちゅうの表札が輝いていた。アリスはノックもせずに中へ入り、もし本物のメアリ・アンと出くわして追い出される前に見つけなければと、あわてて階段をのぼった。

「ウサギの使いっ走りをするなんて、変な感じ!」とアリスは思った。「そのうちダイナがわたしにおつかいを頼んでくるかもしれないわ!」そして空想がふくらんだ――「『アリスお嬢さん! すぐいらっしゃい、お散歩の準備をなさい!』『ちょっと待ってナニー(訳注:乳母や子守りのこと)、ネズミが逃げないように見張らなきゃ』――でも、もしダイナがそんな命令口調になったら、家の中に置いてもらえないと思うけど!」

そんなことを考えているうちに、彼女は窓際にテーブルのある、こぎれいな小部屋にたどり着いた。そしてテーブルの上には、彼女が期待した通り、扇子と白い子ヤギ革の手袋が2、3組置かれていた。アリスは扇子と手袋をひと組手に取って、部屋を出ようとしたが、そのとき鏡のそばに小さな瓶が置かれているのに目がとまった。今回は「私を飲んで」というラベルはついていなかったが、それでもアリスはふたを開け、口に運んだ。「何かおもしろいことが起こるに決まってる。飲んだり食べたりすれば、何か起きるのがこの世界なんだから。今度こそ大きくなってくれたらいいな――こんなに小さいの、もううんざり!」

その願いはすぐに叶った。それも思っていたよりずっと早く。瓶の半分も飲まないうちに、アリスの頭は天井にぶつかりそうになり、首の骨を折らないようにかがまなければならなくなった。彼女はあわてて瓶を置き、「もう十分! これ以上大きくならないで! だってドアから出られないんだから――あんなにたくさん飲むんじゃなかったわ!」とつぶやいた。

家の中で大きくなってしまうアリス
家の中で大きくなってしまうアリス

でも、もう手遅れだった。アリスはどんどん大きくなっていき、ついには床にひざをつくしかなくなった。さらに数分もすると、それさえできなくなり、彼女は片ひじをドアに立てかけ、もう片方の腕を頭のまわりに巻きつけて、横になるしかなかった。それでも成長は止まらず、最後の手段として、腕の一本を窓の外へ、片足を煙突に突っ込んで、「もうこれ以上は何もできない。どうなっちゃうのかしら……」とつぶやいた。

幸いにも、小さな魔法の瓶の効果はこれで止まり、それ以上は大きくならなかった――とはいえ、ものすごく不快な状態であることには変わりなかった。しかも、これでは部屋から出る見込みもまったくなく、アリスがしょんぼりするのも無理はなかった。

「おうちにいたときのほうが、ずっとよかったわ」とかわいそうなアリスは思った。「大きくなったり小さくなったり、ネズミやウサギに命令されたりなんてなかったし。あのうさぎ穴なんか入らなければよかった……でも、でも……やっぱりちょっと変わってておもしろいのよね、この世界。わたしにいったい何が起こってるんだろう? おとぎ話を読んでたころは、こんなことが本当に起こるなんて思ってなかったのに――でも今はまさにその真っ最中! きっと、わたしのことを書いた本があるべきよ、絶対に! そして、わたしが大人になったら、それを書くんだわ――でももう大人かもしれない」とアリスは寂しげに付け加えた。「少なくとも、これ以上大きくなる余地はないんだから」

「でも、」とアリスは考えた。「このままずっと今の年齢のままってこと? それはそれでいいかも。年取っておばあさんにならなくてすむし――でも、そのかわり、ずーっとお勉強を続けなきゃいけないなんて、そんなのはイヤ!」

「おバカなアリスね!」と彼女は自分で自分に答えた。「ここでどうやってお勉強なんかするのよ? 体がつっかえてるのに、教科書の入る余地なんてまったくないじゃない!」

そうやって、アリスは自分の中でああでもないこうでもないと会話を続けていたが、しばらくすると外から声が聞こえてきて、耳をすませた。

「メアリ・アン! メアリ・アン!」という声。「今すぐ手袋を持ってこい!」それから階段をパタパタと上ってくる音。アリスはそれが白ウサギだとすぐにわかり、ぶるぶると震えた――自分が今ではウサギの千倍も大きいことなどすっかり忘れてしまっていた。

ほどなくしてウサギがドアのところまで来て、開けようとしたが、ドアは内開きで、アリスのひじがしっかり押し当てられていたため開かなかった。アリスはウサギが「それじゃ、窓から入ろう」とつぶやくのを聞いた。

「それはさせないわよ!」とアリスは思った。そして、ウサギがちょうど窓の下に来たと思われるタイミングで、彼女は手を広げて空中をひょいっとつかもうとした。何かをつかむことはできなかったが、小さな悲鳴とガシャーンというガラスの割れる音が聞こえた。どうやらウサギがキュウリ棚か何かに落ちたのかもしれなかった。

その後すぐに、怒った声――ウサギの声が響いた。「パット! パット! どこにいるんだ!」それに答えて、アリスの知らない声が聞こえた。「ここにいるでやんす、ご主人!リンゴを掘ってるところでさァ!」

「リンゴ掘りだと!くだらん!」とウサギは怒って言った。「こっちに来て、この始末を手伝え!」(さらにガラスの割れる音)

「なあパット、あの窓になにがある?」

「腕でやんす、ご主人!」(“アーム”を「アーラム」と発音していた)

「腕だと、バカな!そんな大きさの腕があるか!窓いっぱいじゃないか!」

「たしかにそうでやんす、ご主人。でも、やっぱり腕でやんす」

「とにかく、そこにあるのはおかしい! 取ってこい!」

それから長い沈黙が続き、アリスには時折ささやき声だけが聞こえてきた。「ほんとにいやでやんす、ご主人……」「いいからやれ、腰抜けが!」
そして、アリスはまた腕を伸ばし、空中をパッとつかんだ。今度は二つの小さな悲鳴と、またガラスが割れる音。「キュウリ棚って、いったい何個あるのかしら?」とアリスは思った。「今度は何をするつもりかしら? わたしを窓から引っ張り出そうって?できるものならやってみてよ! わたしだってここにいたくなんかないんだから!」

しばらくの間、何も聞こえなかった。だがやがて、小さな荷車の車輪の音と、たくさんの声がいっせいに話しているのが聞こえてきた。アリスはこんな言葉を聞き取った――
「もうひとつのハシゴはどこ?」「え、一本しか持ってこなかったけど――ビルがもう一本持ってるよ」「ビル!持ってきて!」「よし、この角に立てよう」「まず結びつけなきゃ――まだ半分の高さにしかならないよ」「だいじょうぶだって、細かいこと気にするな」「ビル!このロープをつかめ!」「屋根はもつか?」「その緩んだ瓦に気をつけろ――ああ、落ちるぞ!頭かがめて!」(大きなクラッシュ音)
「いったい誰のせいだ?」「ビルだと思うわ」「誰が煙突から下りる?」「いやだ!おまえがやれ!」「ごめん、絶対やだ!」「ビルが行けってさ!」「ビル!主人が煙突から下りろって!」

「まあ、ビルが煙突から下りるってわけ?」とアリスはつぶやいた。「ビルって、なんでも押しつけられてかわいそう! わたしなら絶対イヤ! それに、この暖炉、せまいのよ。でも、ちょっとくらい足は動かせるわ!」

彼女はできるだけ足を煙突の中に引っこめ、何か小さな動物がゴソゴソと煙突を下ってくるのを聞いたとき、「これがビルね」とつぶやき、勢いよくキックを一発くり出した。

アリスに吹き飛ばされたビル
アリスに吹き飛ばされたビル

すると、まず聞こえたのは「ビルが吹っ飛んだぞ!」という合唱の声。それに続いて、ウサギの声――「生け垣の向こうだ!つかまえろ!」それから沈黙、そしてまた騒がしい声――「頭を支えて!」「ブランデーだ!」「のどを詰まらせるなよ」「どうしたんだ、おい!何があったんだ? 全部話してくれ!」

最後に、か細くかすれた声が聞こえてきた(「それがビルね」とアリスは思った)。
「よくわかんないけど――いえ、もうけっこうです、だいぶ楽になりました――も、あまりにびっくりしすぎて説明なんてとても――とにかく、なんか飛び出してきて、ぼくはおもちゃ箱のバネ人形みたいに吹っ飛ばされたんですよ!」

「そうとも、まさしくな!」とまわりの声。

「家を燃やすしかない!」と白ウサギの声がして、アリスはできるだけ大声で叫んだ。「そんなことしたら、ダイナをけしかけるわよ!」

すると、ぴたりと沈黙。アリスは心の中で「次は何をする気かしら。まともな頭があるなら、屋根をはずせばいいのに」と思った。しばらくすると、再びごそごそと動く音がして、白ウサギの声が聞こえた。「とりあえず、一輪車一杯分でいいだろう」

「何の一輪車一杯分?」とアリスは思ったが、考える間もなく、小石がぱらぱらと窓から降ってきて、何個かがアリスの顔に当たった。「これは止めさせないと」と彼女は思い、「もうやめたほうがいいわよ!」と叫んだ。するとまた沈黙が戻った。

アリスは床に転がった小石たちが、次々に小さなケーキに変わっていくのを見て驚いた。そしてひらめいた。「このケーキを食べたら、きっとまたサイズが変わるに違いない。大きくなることはないだろうから、きっと小さくなるんだわ」

彼女はケーキを一つ飲み込んだ。そしてたちまち縮みはじめ、小さなドアを通れるサイズになると、急いで家の外へと駆け出した。外にはたくさんの小さな動物や鳥たちが待っていて、真ん中にはかわいそうなトカゲのビルがいて、二匹のモルモットに支えられ、瓶から何かを飲まされていた。アリスが現れると、みんなが彼女に向かって突進してきたが、アリスは必死で逃げ出し、やがて深い森の中までたどり着いた。

「まず最初にやるべきことは」とアリスは森の中をさまよいながらつぶやいた。「自分の“正しい”大きさに戻ること。そして次に、あのきれいなお庭に行く方法を見つけること。それがいちばんいい計画よね」

たしかに見事な計画だった。きちんとしていて、わかりやすい。ただ問題は――どうすればそれを実行できるか、まったく見当がつかないということだった。そして彼女が草むらや木の間を必死にのぞきこんでいたとき、頭上で鋭い「ワン!」という鳴き声がして、あわてて見上げた。

巨大な子犬が、まるい目でアリスをじっと見下ろし、前足を伸ばして彼女に触れようとしていた。「かわいそうな子犬ちゃん!」とアリスはなだめるような口調で言い、口笛を吹こうとがんばった――でもそのあいだずっと、もしこの子犬がお腹をすかせていたら、いくらなだめても食べられてしまうかも……と考えると恐ろしくてたまらなかった。

わけもわからないまま、アリスは小枝を拾って子犬に差し出した。すると子犬は四本足すべてを宙に浮かせて飛び上がり、喜びのあまり吠えながら枝に突進し、噛みつくふりをしてじゃれ始めた。アリスは自分が踏みつぶされないよう、大きなアザミのかげに身を隠した。そして反対側に姿を見せると、子犬はまた枝に向かって突進し、あわてすぎて前のめりに転んでしまった。アリスはまるで馬車馬と遊んでいるような気分になり、「踏みつけられるのも時間の問題」と思いながら、またアザミのまわりを走って避けた。子犬は短い距離を突進しては長く後ろへ下がり、ガラガラと吠えながら繰り返した。ついにはかなり離れたところに座りこみ、舌をだらりと垂らして息を切らし、目を半分閉じた。

これは逃げ出す絶好のチャンスと見て、アリスはすぐに走り出し、息も切れるまで走りつづけた。やがて子犬の鳴き声も遠くかすれて聞こえなくなった。

「それにしても、なんてかわいい子犬だったのかしら!」とアリスは言いながら、バターカップ(キンポウゲ)の花に寄りかかって休み、葉っぱで自分をあおいだ。「芸を教えてあげられたら、きっと楽しかったわ――ちゃんとした大きさだったらね! ああ、大きくならなきゃいけないんだった!ええと、どうやってやるのかしら? 何かを食べるか飲むかすればいいと思うけど……問題は、“なに”を?」

確かに最大の問題は「なにを?」だった。アリスはあたりの花や草を見回したが、いまの状況で口にできそうなものは何も見つからなかった。近くに、彼女と同じくらいの高さの大きなキノコが生えていた。そしてそれを表側、裏側、左右と見て回ったあと、ふと「上を見てみるのもいいかもしれない」と思いついた。

アリスはつま先立ちになってキノコのふちをのぞきこんだ。するとすぐ目が合ったのは、大きな青いイモムシだった。イモムシは腕を組み、長い水タバコをくゆらせながら、アリスにもほかのことにもまったく注意を払っていないようだった。

補足

キュウリ棚

「キュウリ棚」とは、温室のような構造でキュウリを育てるためのガラス張りの低い囲いのこと。

イギリスの19世紀の庭園では、苗を寒さから守るための「フレーム式温室」がよく使われていた。

腕の話

ウサギの召使いであるパットは、アイルランド系の使用人や労働者階級の田舎者を模しているようで、作中では英語の訛りが表現されている。

日本語でそれを表現することは困難だったので、「~でやんす」という江戸時代の町人や田舎者の話し方を誇張した表現に置き換えてある。

翻訳・編集

この翻訳および編集はすべてLV73によるものであり、著作権はLV73に帰属します。

また掲載されている画像はすべてLV73が独自に制作・用意したものであり、原作とは一切関係ありません。

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