不思議の国のアリス 第10章 ロブスターのカドリーユ

ルイス・キャロル,不思議の国のアリス,1985年
訳
まがいウミガメは深いため息をつき、ひれの裏で目をぬぐった。アリスを見つめ、何か話そうとしたが、しばらくはすすり泣きで声が出なかった。「骨が喉につっかえてるみたいだな」とグリフォンが言い、まがいウミガメの背中を揺さぶったり叩いたりし始めた。やっとまがいウミガメが声を取り戻し、涙を流しながらまた語り始めた――
「君はあまり海の底で暮らしたことはないだろう――」(「ないわ」とアリス)「――それに、ロブスターとちゃんと会ったこともないかもしれない――」(アリスは「一度味見したことなら――」と言いかけたが、慌てて口をつぐみ「いいえ、全然ないわ」と言い直した)「――だから“ロブスターのカドリール”がどれほど楽しいものか、想像もつかないだろう!」
「まったく想像がつかないわ」とアリスが言った。「どんなダンスなの?」
「それはね」とグリフォンが言った。「まず浜辺に沿って一列に並ぶ――」
「二列にだよ!」とまがいウミガメが叫んだ。「アザラシ、ウミガメ、サケなどが並んでね。それからクラゲを全部どける――」
「それがだいたい時間かかるんだ」とグリフォンが口をはさんだ。
「――で、二度前進して――」
「それぞれロブスターをパートナーにしてね!」とグリフォンが叫んだ。
「もちろんさ」とまがいウミガメが言った。「二度前進、パートナーに向かって踊って――」
「――ロブスターを取り替えて、同じ順序で後退!」とグリフォンが続けた。
「それからね」とまがいウミガメが話し続けた。「ロブスターを――」
「――海の遠くまで投げるんだ!」とグリフォンが空中に跳ねながら叫んだ。
「――できるだけ遠くへね――」
「追いかけて泳ぐんだ!」とグリフォンが叫んだ。
「海の中で宙返りするんだよ!」とまがいウミガメが跳ね回りながら叫んだ。
「ロブスターをもう一度取り替える!」とグリフォンが声を張り上げた。
「陸に戻って、はい、これが最初の型だ」とまがいウミガメが急に声を落として言った。そして、それまで狂ったように跳ね回っていた二人は、しんみりと座りなおし、アリスを見つめた。
「きっととってもきれいな踊りなのね」とアリスはおずおずと口にした。
「少し見てみたいかい?」とまがいウミガメがたずねた。
「ぜひ見たいわ」とアリスが言った。
「じゃあ、最初の型をやってみよう!」とまがいウミガメがグリフォンに言った。「ロブスター抜きでもできるさ。どっちが歌う?」
「きみが歌ってくれ」とグリフォン。「歌詞を忘れちまったんだ」

「それじゃあ踊ろう!」と二人は言って、アリスのまわりをぐるぐると真面目くさって踊り始めた。時おり近くを通りすぎるたびにアリスの足を踏んづけたりしながら、前足を振って拍子をとり、まがいウミガメはとてもゆっくり悲しげに歌った――
「もう少し速く歩けない?」 ホワイティングがカタツムリに言った
「後ろにいるのはイルカだ しっぽを踏まれてしまうよ
ロブスターとウミガメたちがほら 意気込んで進んでくる!
浜辺で待ってるんだ――一緒に踊ろうじゃないか?
踊る? 踊らない? 踊る? 踊らない? 一緒に踊ろうよ!
踊る? 踊らない? 踊る? 踊らない? 踊ってくれないか?」
「どれだけ楽しいかわからないだろうね
ロブスターたちと一緒に海に投げられるときなんて!」
でもカタツムリは答えた「遠すぎる、遠すぎるよ」と横目を向けた――
ホワイティングには感謝すると言ったが 踊りには加わらなかった
「踊らぬ 踊れぬ 踊らぬ 踊れぬ 踊りには加わらぬ
踊らぬ 踊れぬ 踊らぬ 踊れぬ 踊ることはできぬのさ」
「どれだけ遠く行こうと、何の問題があるんだ?」と
うろこだらけの友が答えた
「海の向こうにも岸はある
イングランドから遠ざかるほど フランスに近づく――
だから顔色を変えるな 愛しいカタツムリよ 踊りに加わろうじゃないか!
踊る? 踊らない? 踊る? 踊らない? 一緒に踊ろうよ!
踊る? 踊らない? 踊る? 踊らない? 踊ってくれないか?」
(訳注:ホワイティングとはタラ科の魚で、学名はMerlangius merlangus。日本近海には分布しておらず、西ヨーロッパの北海や大西洋沿岸に多い魚。)
「ありがとう、とても興味深い踊りだったわ」とアリスは言った。踊りがやっと終わったことにほっとしていた。「あのホワイティングの歌も、すごく変わってて気に入ったわ!」
「ところで、ホワイティングといえば――」とまがいウミガメが言った。「きみ、もちろん見たことあるよね?」
「ええ、よく見るわ、夕食(dinn)――」アリスは慌てて口をつぐんだ。
「ディン“din”というのがどこか知らないが」とまがいウミガメは言った。「そんなに見たことあるってんなら、どんなものかよく知ってるだろ?」
「たぶんそうね」とアリスは考え込みながら答えた。「しっぽを口にくわえていて、パンくずだらけよね」
「パンくずは違うよ」とまがいウミガメが言った。「海の中じゃ洗い流されてしまう。だが、しっぽを口にくわえてるのは本当さ。その理由はね――」ここでまがいウミガメは大きくあくびをして目を閉じた。「理由とか何とかは、グリフォン、きみが話してくれ」
「理由はね」とグリフォンが言った。「ロブスターと一緒に踊りに行こうとしたからさ。そんで海に投げられた。だから長い距離を落っこちた。だからしっぽが口に引っかかった。だからもう取れなくなった。以上だよ」
「ありがとう、とても面白かったわ。ホワイティングのこと、こんなに詳しく知ったのは初めてよ」とアリスが言った。
「もっと教えてあげようか?」とグリフォンが言った。「なんでホワイティング“whiting”っていう名前か知ってる?」
「考えたことなかったわ」とアリス。「なぜなの?」
「それは靴を仕上げるのさ」とグリフォンはとても厳かに答えた。
アリスはすっかり混乱してしまった。「靴を仕上げるですって!」と不思議そうにくり返した。
「ほら、君の靴は何で仕上げてある?」とグリフォン。「つまり、何であんなに光ってるんだ?」
アリスは自分の靴を見下ろして、少し考えてから答えた。「たしか黒靴磨きで仕上げてると思うわ」
「海の底じゃな、靴はホワイティング“whiting”で仕上げるんだよ」とグリフォンは低い声で続けた。「これでわかっただろう」
「じゃあ、それって何でできてるの?」とアリスはとても興味深そうに尋ねた。
「靴底(ソール“sole”)とウナギさ、もちろんだろ」とグリフォンは少しいら立った口調で言った。「そんなのエビでも知ってるぞ」
「わたしがあのホワイティングだったら」とアリスはまだ歌のことを考えていて言った。「イルカ“porpoise”に『下がってて、お願い。あなたはいらないの』って言うわ」
「でも一緒にいなきゃいけなかったんだ」とまがいウミガメが言った。「賢い魚なら、目的“purpose”なしでどこにも行かないさ」
「ほんとうにそうなの?」とアリスはびっくりした声で言った。
「もちろんさ」とまがいウミガメは言った。「魚が旅に出るって言ってきたら、わたしなら『何の目的“purpose”で?』って聞くさ」
「『目的“purpose”』じゃなくて『イルカ“porpoise”』って言ったの?」とアリス。
「言ったとおりさ」とまがいウミガメは気を悪くした様子で答えた。グリフォンも言い足した。「さあ、君の冒険の話を聞かせてくれ」
「今朝からの話ならできるわ」とアリスは少し控えめに言った。「でも昨日にさかのぼっても意味ないと思うの。昨日のわたしとは違う人だったから」
「その説明をしてくれ」とまがいウミガメが言った。
「いやいや、まずは冒険からだ」とグリフォンはせっかちに言った。「説明なんて時間がかかってしかたないからな」
そこでアリスは、白ウサギを初めて見たときからの冒険を語り始めた。最初は少し緊張していた。二匹がアリスの両側にぴったり寄って、目も口も大きく開けて聞いていたからだ。でも話が進むうちに自信が出てきた。
ふたりの聞き手は「おまえは年老いた、ウィリアム父さん」をイモムシに暗唱したくだりまでまったく黙って聞いていた。そして言葉が全部違ってしまった話のところで、まがいウミガメは深く息をついて言った。「それはとてもふしぎだな」
「これ以上ふしぎなことなんて、そうそうないよ」とグリフォンが言った。
「全部ちがってしまったのか」とまがいウミガメは考え深げにくり返した。「ぜひ今、何か暗唱させてみたいものだ。さあ、言わせてみろ」と言って、アリスに何かしら命令する権利があるような顔でグリフォンを見た。
「立って『ものぐさ者の声』を暗唱してみろ」とグリフォンが言った。
「なんてこの生き物たちは人をあれこれ命令したり、暗唱させたりするんでしょう!」とアリスは思った。「まるで学校にいるみたいだわ。」それでもアリスは立ち上がって暗唱を始めたが、頭の中はロブスター・カドリーユでいっぱいだったので、何を言っているのかほとんど分からず、出てくる言葉はまるででたらめだった――
ロブスターの声だわ、彼がこう言うのを聞いた
「こんがり焼かれすぎたよ 髪に砂糖をまぶさなきゃ」
アヒルがまぶたを使うように 彼は鼻で
ベルトとボタンを整え つま先を外側に向けるの
[後の版では以下が続く]
砂がすっかり乾くと 彼はひばりのように陽気になり
サメを馬鹿にした口ぶりで話すが
潮が満ちてサメが現れると
声はおびえた震えるようなものになる
「子供のころに言ってたのとは違うなあ」とグリフォンが言った。
「ぼくは初めて聞いたけど、たいそうばかげた話に聞こえるな」とまがいウミガメ。
アリスは何も言わず、両手で顔を覆って座り込んでしまった。何もかもが元通りになる日は来るのかと考えていたのだ。
「これ、説明してもらいたいね」とまがいウミガメが言った。
「彼女には説明できないよ」とグリフォンがあわてて言った。「次の詩を続けてくれ」
「でも、つま先のことは?」とまがいウミガメは食い下がった。「鼻でどうやって外に向けるんだい?」
「それはダンスの第一ポジションよ」とアリスは答えたが、話全体にすっかり混乱してしまっており、早く話題を変えたくてたまらなかった。
「次の詩を続けてくれ」とグリフォンはせっかちにくり返した。「『彼の庭のそばを通った』で始まるやつだ」
アリスは従わずにいるのが怖くて、きっとおかしなことになると分かっていながらも、震える声で続けた――
彼の庭のそばを通りかかり片目で見たのは
フクロウとヒョウがパイを分けていたところ――
[後の版では以下が続く]
ヒョウはパイ生地とグレイビーソースと肉を食べ
フクロウは皿しか回ってこなかった
食事が終わったあと フクロウは「ご褒美」として
スプーンを持ち帰ることが「許された」
ヒョウはナイフとフォークを受け取ると唸り声を上げ
宴を締めくくった――
「聞きながら何も説明しないのなら、そんなもの暗唱しても意味がないじゃないか」とまがいウミガメが口を挟んだ。「今まで聞いた中でいちばん混乱する話だ!」
「そうだね、やめた方がいいよ」とグリフォンが言った。アリスはやめてよいと言われて、心からほっとした。
「ロブスター・カドリーユの別の型を試してみようか?」とグリフォンが続けた。「それとも、まがいウミガメに歌を歌ってもらいたい?」
「まあ、歌をお願いします。まがいウミガメさんがご親切に歌ってくださるなら」とアリスはとても熱心に答えたので、グリフォンはやや不満げに「ふん!人の好みは分からんもんだな!『カメのスープ』を歌ってくれよ、古い友よ」と言った。
まがいウミガメは深くため息をつき、時おりすすり泣きで声を詰まらせながら、こう歌い始めた――
美しきスープ、濃くて緑、
熱々のスープ皿で待つ!
誰がそんなご馳走を前にかがまぬだろう?
夕べのスープ、美しきスープ!
夕べのスープ、美しきスープ!
びゅう〜ううてぃふる・スゥ〜ウプ!
びゅう〜ううてぃふる・スゥ〜ウプ!
夕べのスゥ〜ウ〜プ、
美しき、美しきスープ!
美しきスープ!誰が魚に気を留めよう、
ジビエに、ほかの料理に?
誰が他のすべてを差し出さぬだろう、
たった二ペンス分の美しきスープのために?
たった二ペンス分の美しきスープのために?
びゅう〜ううてぃふる・スゥ〜ウプ!
びゅう〜ううてぃふる・スゥ〜ウプ!
夕べのスゥ〜ウ〜プ、
美しき、美しきスゥ〜ウプ!
(訳注:二ペンスは二百円くらい)
「もう一度合唱!」とグリフォンが叫び、まがいウミガメがちょうど繰り返そうとしたとき、「裁判が始まるぞ!」という声が遠くから聞こえた。
「さぁ、行こう!」とグリフォンが叫び、アリスの手を取ると、歌の終わりも待たずに急いで駆け出した。
「どんな裁判なの?」とアリスは走りながら息を切らしてたずねたが、グリフォンは「行こう!」とだけ答え、さらに速く走った。その後ろから風に乗って、次第に遠ざかっていく悲しげな歌声が聞こえた――
夕べのスゥ〜ウ〜プ、
美しき、美しきスゥ〜ウプ!
補足
賢い魚なら、目的“purpose”なしでどこにも行かないさ
原文は“no wise fish would go anywhere without a porpoise.”であり、「賢い魚なら、イルカなしでどこにも行かないさ」が本来の翻訳である。
しかしこれでは英語のシャレが伝わらないため、あえてporpoiseをpurposeにして「目的」と訳した。
翻訳・編集
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各章
- 不思議の国のアリス 第1章 うさぎの穴をまっさかさま
- 不思議の国のアリス 第2章 涙の池
- 不思議の国のアリス 第3章 コーカスレースと長いお話
- 不思議の国のアリス 第4章 白ウサギが小さなビルを送り込む
- 不思議の国のアリス 第5章 イモムシの忠告
- 不思議の国のアリス 第6章 ブタとコショウ
- 不思議の国のアリス 第7章 狂気のお茶会
- 不思議の国のアリス 第8章 女王のクロケー場
- 不思議の国のアリス 第9章 まがいウミガメの話
- 不思議の国のアリス 第10章 ロブスターのカドリーユ
- 不思議の国のアリス 第11章 タルトを盗んだのはだれ?
- 不思議の国のアリス 第12章 アリスの証言