不思議の国のアリス 第9章 まがいウミガメの話

不思議の国のアリス

ルイス・キャロル,不思議の国のアリス,1985年

「あなたにまた会えてどれほど嬉しいか、想像もつかないわ、かわいい人!」と公爵夫人は言い、アリスの腕に愛情を込めて自分の腕を絡ませ、一緒に歩き出した。

アリスは公爵夫人がこんなに上機嫌でいることにとても安堵した。そして、台所で初めて会ったときあんなに荒れていたのは、きっとコショウのせいだったのだろうと心の中で思った。

「わたしが公爵夫人になったら」と彼女は自分に言い聞かせた(とはいえあまり希望に満ちた口調ではなかった)、「台所には絶対にコショウを置かないようにするわ。スープはコショウがなくても十分おいしいんだから――もしかして、人を短気にするのはいつもコショウなんじゃないかしら」と彼女は続け、独自の新しい法則を発見したことに嬉しくなった。「お酢は人をすっぱくして、カモミールは苦くして、あと、大麦砂糖やそういうのは子どもを優しい気持ちにする――。みんながそれを知ってたらいいのに。そしたら、けちけちしなくなるでしょ――」

このときにはもうすっかり公爵夫人のことを忘れていたので、耳元で声がしたときには少し驚いた。「なにか考え事をしていたのね、かわいい子。だからおしゃべりを忘れちゃったのね。今はそのことの教訓(モラル)は言えないけど、そのうち思い出すわ」

「もしかしたら、教訓なんてないんじゃないですか」とアリスはおずおずと口を挟んだ。

「ちっちっ、お嬢ちゃん!」と公爵夫人は言った。「なんでも教訓があるのよ、見つけさえすればね」そう言いながら、公爵夫人はアリスの横にさらにぴったりと体を寄せてきた。

アリスはその密着があまり好きではなかった。ひとつには、公爵夫人がとてもみにくかったからであり、もうひとつには、ちょうどいい高さだったので、アリスの肩にあごをのせてくるのだが、そのあごがひどく尖っていて不快だったからである。とはいえ、無礼な態度をとるのは嫌だったので、なんとか我慢した。

「さっきよりゲームがうまく進んでるみたいですね」とアリスは、会話を続けるために言った。

「そのとおり」と公爵夫人。「そしてその教訓は――『ああ、愛こそが、愛こそが、世界を回しているのだ!』」

「でも誰かが、『みんなが自分のことだけ考えてるからだ』って言ってましたよ」とアリスはささやいた。

「あらまあ! それもだいたい同じことよ」と公爵夫人は言い、鋭いあごをアリスの肩にぐいっと押しつけながら続けた。「そしてその教訓は――『中身がしっかりしてれば、言葉は自然と整うもの』」

「本当に、なんでも教訓を見つけるのが好きなのね」とアリスは思った。

「わたしがなぜあなたの腰に腕を回さないか、不思議に思ってるでしょう」と公爵夫人は、しばらくしてから言った。「その理由はね、あなたのフラミンゴの気性がよくわからないからなの。試してみようかしら?」

「かみつくかもしれません」とアリスは用心深く答えた。実のところ、その実験は決してしてほしくなかった。。

「まったくそのとおり」と公爵夫人は言った。「フラミンゴとマスタードはどちらもかみつくのよ。そしてその教訓は――『同じ羽の鳥は群れるもの』」

「でも、マスタードは鳥じゃないですよ」とアリスは言った。

「そのとおり、さすがね」と公爵夫人は言った。「ものごとの本質をつかむのが本当に上手だわ!」

「たしか、鉱物だったと思います」とアリスが言った。

「もちろんそうよ」と公爵夫人は答えた。アリスの言うことにはすべて賛成するつもりらしかった。「ここからそう遠くないところに、大きなマスタード鉱があるの。そしてその教訓は――『わたしの分が多ければ、あなたの分は少なくなる』」

「わかったわ!」とアリスは叫んだ。直前の言葉には注意していなかった。「マスタードって野菜なのよ。そう見えないけど、でもそうなの」

「まったくその通りね」と公爵夫人は言った。「そしてその教訓は――『なりたい自分になりなさい』――あるいは、もっとわかりやすく言えば――『自分が他人にとって、そうであるかもしれないと見えるもの以外の何かであるふりをしてはならないと、自分で思うことができるように、ならないふうに思い込んではいけない』のよ」

「それは書いてもらえばもっとよくわかると思います」とアリスはとても礼儀正しく言った。「今みたいに口で言われても、ちょっとついていけません」

「わたしが本気になれば、もっといろいろ言えるのだけれど」と公爵夫人はご満悦な口調で言った。

「これ以上ご無理なさらなくて結構ですわ」とアリスは言った。

「まあ、手間なんて言わないで!」と公爵夫人は言った。「いままで言ったことはぜんぶ、あなたに差し上げるわ」

「なんて安っぽい贈り物なんでしょう!」とアリスは思った。「誕生日プレゼントがこんなんじゃなくてよかったわ!」――でも、それを口に出す勇気はなかった。

「また考え事?」と公爵夫人は言い、またしてもその尖ったあごでアリスの肩を小突いた。

「考える権利ぐらいあるでしょ」とアリスはとがった口調で言った。少しうんざりし始めていたのだ。

「ちょうど、ブタが空を飛ぶくらいの権利ね」と公爵夫人。「それにき――」

しかしここでアリスは非常に驚いた。というのも、公爵夫人の声は「教訓」という彼女の大好きな言葉の途中で急に消え、腕を組んでいたその手も震え始めたからである。アリスが顔を上げると、そこには雷のような顔をした女王が立っていた。

「よいお天気ですね、陛下……」と公爵夫人は弱々しい声で言い始めた。

「警告しておくがね!」と女王は地面を踏み鳴らしながら叫んだ。「おまえか、おまえの首か、どちらかはすぐに消えてもらうよ! 好きな方を選びな!」

公爵夫人は即座に選び、瞬時に姿を消した。

「さあ、ゲームの続きだ」と女王はアリスに言った。アリスはあまりに怖くて何も言えず、ゆっくりと女王の後についてクロケー場へ戻った。

女王がいないあいだに、ほかの客たちは日陰で休んでいたが、彼女の姿を見たとたんにゲームに戻った。女王は「一瞬でも遅れたら命はないと思え」と言っただけだった。

ゲームのあいだじゅう、女王はほかのプレイヤーとけんかを続け、「首をはねろ!」とか「こいつの首を落とせ!」と叫び続けていた。判決を受けた者たちは兵士に連行されたが、兵士たちはアーチ役でもあったため、それをやめて連行に回らねばならなかった。そうしているうちに、半時間もしないうちにアーチは全部なくなり、王様、女王様、アリスを除いたすべてのプレイヤーが投獄され、処刑の判決を受けていた。

ようやく息を切らした女王は、アリスに向かって言った。「まがいウミガメにはもう会ったのか?」

「いいえ」とアリスは言った。「まがいウミガメって何かも知りません」

「まがいウミガメスープの材料になるやつだ」と女王は言った。

「見たことも聞いたこともありません」とアリスは言った。

「ついておいで」と女王は言った。「そいつに自分の話をさせてやる」

二人で歩き出すと、アリスは王様が全体に向かって低い声で言っているのを耳にした。「みな、赦す」――「まあ、それはよかった!」とアリスは心の中で言った。女王が命じた数々の処刑にすっかり気がめいっていたのだ。

グリフォン
グリフォン

ほどなくして、日差しの中でぐっすり眠っているグリフォンを見つけた。(グリフォンが何か知らないなら、挿絵を見なさい)「起きろ、このなまけもの!」と女王は言った。「この娘を連れて、まがいウミガメのところへ行って話を聞かせろ。わたしは処刑の確認をしに戻らねばならないから」――そう言って女王は去り、アリスはグリフォンと二人きりになった。

アリスはこの生き物の見た目があまり好きではなかったが、あのどう猛な女王についていくよりは、ここに残る方が安全だろうと考え、待つことにした。

グリフォンは起き上がり、目をこすった。それから女王の姿が見えなくなるまで見送り、それからくすくす笑った。「おかしいやつだな!」とグリフォンは独り言ともアリスに向けてともつかない調子で言った。

「何がおかしいの?」とアリスは尋ねた。

「いや、あいつのことさ」とグリフォン。「あんなのぜんぶ妄想だよ。実際には誰も処刑なんかされてないんだよ。さあ、行こう!」

「ここじゃ、誰もかれもが『さあ、行こう!』ばっかり言うのね」とアリスは思いながら、しぶしぶグリフォンのあとに続いた。「人生でこんなに命令ばかりされたのは初めてだわ!」

彼らがそれほど遠くへ行かないうちに、アリスは岩の小さな出っ張りに座っているまがいウミガメを遠くに見つけた。その姿は悲しみに沈み、ひとりぼっちであった。近づくにつれて、アリスには彼のため息が心から絞り出されているように聞こえた。彼女は深く同情し、「どうしてそんなに悲しいの?」とグリフォンに尋ねた。グリフォンは、ほとんど先ほどと同じ言い方で答えた。「あれもみんな空想なんだよ。本当はぜんぜん悲しくなんかないんだ。さあ、行こう!」

それで彼らはまがいウミガメのところへ行った。彼は涙にあふれた大きな目で二人を見つめたが、何も言わなかった。

「このお嬢さんがね」とグリフォンは言った。「あんたの話を聞きたいってさ」

「話してやろう」とまがいウミガメは深くくぐもった声で言った。「二人とも座れ。そして話が終わるまで一言もしゃべるな」

まがいウミガメの話を待つアリスとグリフォン
まがいウミガメの話を待つアリスとグリフォン

それで三人は座り、しばらく誰も口をきかなかった。アリスは心の中で、「始めなきゃ終わらないと思うんだけど」と思いながらも、辛抱強く待っていた。

「むかしむかし」とまがいウミガメはようやく深いため息とともに語り出した。「わたしは本物のウミガメだったのだ」

その言葉のあとには長い沈黙が続いた。たまにグリフォンの「ヒックラフ!」という妙な声と、まがいウミガメの重苦しいすすり泣きだけが響いていた。アリスはもう立ち上がって「ご親切なお話、ありがとうございました」と言いそうになったが、まだ何か続きがある気がして黙って座っていた。

「わたしたちが子どもだった頃」とまがいウミガメはやっとのことで落ち着きを取り戻し、すすり泣きを混じらせながら続けた。「海の学校に通っていたんだ。先生は年老いたウミガメで――わたしたちは彼のことを“トータス”と呼んでいた」

「でも、トータス(リクガメ)じゃなかったのに、なぜそう呼んだの?」とアリスは尋ねた。

「トータス“Tortoise”って呼んだのは、私たちに教えてくれた(訳注:トートアス“taught us”)からだよ」とまがいウミガメは怒って言った。「本当に君は鈍い子だね!」

「そんな簡単なことを聞くなんて、恥を知るべきだよ」とグリフォンも付け加えた。それから二人は黙ってアリスをじっと見つめた。アリスは地面にでも沈んでしまいたい気分だった。ようやくグリフォンがまがいウミガメに言った。「さあ、続けろよ。そんなに日が暮れるまでかかることでもないだろう!」それでまがいウミガメは続けた。

「ああ、海の学校に通ってたんだ――信じられないかもしれないけど――」

「そんなこと言ってないわ!」とアリスはさえぎった。

「言ったさ」とまがいウミガメ。

「黙ってな!」とグリフォンが言って、アリスが口を開こうとしたのを止めた。まがいウミガメは話を続けた。

「わたしたちは最高の教育を受けていた――毎日学校に通ってたんだ――」

「わたしも日中に通う学校だったわ」とアリスは言った。「そんなに誇らしげに言うことないでしょ」

「課外授業もあったのかい?」とまがいウミガメは少し不安げに尋ねた。

「ええ」とアリスは答えた。「フランス語と音楽を習ったわ」

「で、洗濯は?」とまがいウミガメが言った。

「そんなことするわけないわ!」とアリスは憤慨して言った。

「ああ、じゃあ君たちの学校は本当にちゃんとした学校じゃなかったんだね」と、まがいウミガメは大いに安堵した口調で言った。「うちの学校では、学費の請求書の最後に『フランス語、音楽、そして洗濯(全て別料金)』 って書いてあったんだ」

「でも、そんなに必要だったとは思えないわ」とアリスは言った。「海の底に住んでるんだもの」

「わたしには習うお金がなかったのさ」とまがいウミガメはため息をつきながら言った。「ふつうの授業しか受けられなかった」

「ふつうの授業って何だったの?」とアリスがたずねた。

「まずは『よろめき“Reeling”』と『もがき“Writhing”』さ」とまがいウミガメが答えた。「それから算数のいろんな分野――『野心“Ambition”』、『混乱“Distraction”』、『醜化“Uglification”』、『嘲笑“Derision”』だよ」

「『醜化“Uglification”』なんて初めて聞いたわ」とアリスは恐る恐る言った。「それって何?」

グリフォンは両方の前足を驚いて持ち上げた。「なんだって! 醜くする“uglify”ことを知らないだって!」と叫んだ。「君、美しくする“beautify”って意味は知ってるんだろう?」

「ええ」とアリスは自信なさげに言った。「つまり――何かを――もっときれいにすることよね」

「だったら」とグリフォンは続けた。「醜くする“uglify”がわからないなんて、君はおバカさんだよ」

アリスはこれ以上そのことを質問する気になれず、まがいウミガメの方を向いて言った。「それで、ほかに何を習ったの?」

「そうだな、あとは神秘学“Mystery”」とまがいウミガメは自分のひれで科目を数えながら答えた。「――古代と現代の神秘学、それから海理“Seaography”。それからだらだら学“Drawling”――『だらだら教師』は老いたアナゴで、週に一度来てくれたんだ。彼が教えてくれたのは、『だらだら“Drawling”』、『伸び伸び“Stretching”』、それから『グッタリぐるぐる巻き“Fainting in coils”』だった」

「どんな感じだったの?」とアリスが言った。

「まあ、ぼく自身では見せられないな」とまがいウミガメは言った。「体がこわばっててね。グリフォンも習ってなかったし」

「時間がなかったんだ」とグリフォンは言った。「でも古典の先生には習ったよ。あいつは老いたカニだった」

「わたしはその先生には行かなかったなあ」とまがいウミガメはため息混じりに言った。「笑いと悲しみを教えてたって話さ」

「そうだそうだ、教えてたとも」とグリフォンもため息をついて言い、二人はそろって顔を前足で覆った。

「一日に何時間、授業を受けてたの?」とアリスは話題を変えたくてあわててたずねた。

「最初の日は十時間」とまがいウミガメ。「次の日は九時間、そしてだんだん減っていくんだ」

「なんて変わったやり方なの!」とアリスは叫んだ。

「だから授業“lessons”って言うんだよ」とグリフォンが言った。「日ごとに減って“less”いくからさ」

これはアリスにとってまったく新しい考え方だったので、少し考えてから次のことを言った。「じゃあ、十一日目は休みだったの?」

「もちろんさ」とまがいウミガメが言った。

「じゃあ、十二日目はどうしたの?」とアリスは身を乗り出して聞いた。

「授業の話はもういい!」とグリフォンが非常にはっきりした口調で遮った。「今度は『ゲーム』の話をしてやれ」

補足

学費の請求書

これは19世紀イギリスの寄宿学校の高額な教育費を風刺している。

このまがいウミガメは「教育が立派=何でも別料金で提供される高級校」という誤った価値観を持っていて、それを真に受けて自慢する姿が風刺的かつナンセンスに描かれている。

るまり、階級意識と教育制度への皮肉を込めたユーモア表現だと言える。

まがいウミガメの学科名

まがいウミガメが挙げた怪しげな学科名は、本来の学科名をもじった言葉遊びになっている。

作中の学科名意味本来の学科名意味
ReelingよろめきReading読解
WrithingもがきWriting作文
Ambition野心Addition足し算
Distraction混乱Subtraction引き算
Uglification醜化Multiplicationかけ算
Derision嘲笑Divisionわり算
Mystery神秘学History歴史
Seaography海理学Geography地理学
Drawlingだらだら学Drawingデッサン
学科名の対比

本来の学科名が分かっていないと、面白さが理解しにくい部分である。

uglificationとuglifyについて

作中で「醜くする“uglify”」とその名詞化(-tion)「醜くすること“uglification”」は、不思議の国のアリスが出版された1865年には存在しなかった言葉である。

現在では俗語やネットスラングとして一定の認知を得ているが、当時としては正式に認められた言葉ではなく、ルイス・キャロル独自の言葉遊びの一環だった。

Seaography

海“Sea”+地理“Geography”=海理“Seaography”という完全な造語。

だらだら、伸び伸び、グッタリぐるぐる巻き

これらはアナゴの体が長くて柔らかく、にゅるっと伸びるイメージに基づくダジャレから。

彼が週に1度だけ来る先生だということも、アナゴ=捕まえにくくて滅多に現れないことが起因している可能性がある。

老いたカニによる笑いと悲しみの授業

老いたカニ“an old crab”であるが、似ている単語として怒りっぽい“crabby”という言葉があり、さらには“a crabby old man”と言えば怒りっぽい老人という意味である。

普通、笑いや悲しみの感情を教えるには、繊細で共感的な性格が必要であるが、「怒りっぽくて不器用そうなカニ」がその役目を担うというのが明らかなミスマッチである。

まがいウミガメとグリフォンの反応からも良い授業だったとは言えない様子が分かる。

翻訳・編集

この翻訳および編集はすべてLV73によるものであり、著作権はLV73に帰属します。

また掲載されている画像はすべてLV73が独自に制作・用意したものであり、原作とは一切関係ありません。

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